私が、この店をやると決めてからかれこれ半年。
料理長候補、河崎めぐみは、私の「ピッツァ焼く気のある人」という唐突な社内チャットに自ら手を挙げました。
飲食業の会社に就職したわけでもなく、飲食業を志していたわけでも、調理師の勉強をしていた訳でもない彼女のその勇気に、私は感動しました。
この国ではできるだけ目立たないこと、できるだけ出ないこと、できるだけおとなしくしておくことが美徳とされて久しく、気がつけばまだあれだけ福島を穢した原発は何事もなかったかのように動いているのです。核の惨禍を外因によって甘受しただけでなく、自らの国土を自ら汚染した経験がありながらも、まだ懲りないとは驚きです。
多数の陰でおとなしくしておくことが人生の安寧であるにも関わらず、なんであってもチャレンジする、ただ一人でも手を挙げる。私はこういう人にこそ幸せになってほしいと思っています。
えらい大きな話しを書きましたが、私にとって、世の中でまだ主流でないことをやり、そしてチャレンジし続けることは「事なかれ」を良しとし、だからこそくだらない忖度が国を動かしている現状に対する挑戦であり、既得権益に対するもう一つのやり方でもあります。
まさか、こんなことになってしまうなんて、と河崎は重圧でプレ・オープン直前に、もうボロボロかもしれません。
とても、先のことなんて考えられないかもしれません。
自分が何をやっているのかすら、分からなくなっているかもしれません。
キッチンで何度も泣いている姿をみても、とにかく何度失敗してもいいからがんばろうと言い続けるほかなかったのです。
先延ばしにし続けたオープン日を決める作業を、ホール長候補の今井が一蹴、とにかく何が何でも開けるんだと話し合い、そして26日、いよいよお客様へのご提供をミニマムの状態でスタートします。
とにかく、今日まで思いつく限りの試作を続けてきました。私ですら、泣きたくなるような失敗を繰り返してきたのです。
突然、寝る前に思いついたグルテンフリー生地の試作
河崎にとって、たぶんこれは清水の舞台から飛び降りるほどのチャレンジです。
飛び降りた先には一体何があるのか?
それは私にもわかりません。
ただ、私が一つだけいえることは、たとえそれが何であっても、諦めさえしなければ叶うということです。
どうなるかはわかりません。そんなことは、むしろどうでもいいのです。
どうなるか、ではなく、何をしようとしていたのか。
そのことに何度も立ち返り、そしてまた果敢にチャレンジするだけのことです。
いくらやっても、まだまだなのです
京都の端っこの小さな居抜きの店で、食べものを出すことがそんなにたいそうなことなのかと思われるかもしれません。
私にとっても、河崎、そして思い切ってこのような無謀な試みに飛び乗ってきた今井にとっても、これは人生をかけたチャレンジです。
必ずいつか、
「こんなにおいしくて、体に優しいものを食べたことがない。」
「他のどこでも満足できなかったけれど、ここでそれが満たされたよ。」
「世界のどこよりも、心が満たされたよ。」
「私もいつか、このようなことがしたい。」
「私も帰ってがんばります。」
と世界中の方にいっていただき、世界平和の一端でも担えるようになれば、これほど嬉しいことはありません。
それは私がジェラートを志して、1年のうちにいただいた言葉であり、また、言われたことがまたプレッシャーでもあり、甘くて苦い「心の薬」でもあるのです。
そうなれるまでは、きっといっぱい失敗もします、ご不満もあろうかと思いますが、私たちの気持ちを受け止めていただけるととても嬉しいです。